2020年8月15日(土)、三浦春馬さん主演のドラマ「太陽の子」が放送されました。
三浦さんの遺作とあって、注目されていた中の放送でしたが、かなりの反響があったようです。
このドラマの撮影時期には、すでに苦悩の中にいて、自ら散りゆくことを考えていたと思われます。
三浦春馬さんの死をまだ受け入れられず、彼の面影をたどるファンの方多いのではないでしょうか?
特にファンでなかった人も、なぜかショックが消えず、まだ引きずっているという方も少なくありません。
亡くなってから、むさぼるように作品を見た、という方も!
私もその一人です。
今回は、
・三浦春馬/太陽の子の撮影時期はいつ?
・裕之役について書かれていた手帳の内容とは?
について、まとめてみました。
三浦春馬/太陽の子の撮影時期はいつ?
太陽の子が撮影されたのは、
2019年8月~10月
の2ケ月間です。
約1年前の撮影だったのですね。

三浦春馬さんは、このドラマにとても思い入れがあったようです。
インタビューでこんな風に語っています。
「全く戦争を体験したことがない僕たちが、イマジネーションを働かせて、文献を元にスタッフや研究者の協力をえて、ひとつの台本になっているので、その台本を使い、大きな想像力をお客様に届けていく・・。今後戦争があってはならない、大きな流れを始めさせないきっかけになるんじゃないかと信じたい。」
三浦さんらしい、熱くて真面目なコメントですね。
裕之役について書かれていた手帳の内容とは?
ドラマの中で、裕之が特攻隊員を志願し、残された母に向けて書かれた最期の手紙を読み上げるシーン。
「心残りはない」
「これが届く頃に戦果をあげます」
「裕之は御国のため、笑って死にます」
三浦春馬さんの声で流れるナレーションがとても切なかった。
胸にくるものがありました。
そんな三浦さんは、太陽の子で演じた裕之について、手帳に書き連ねていたそうです。
捜査関係者によると、三浦さんが亡くなった自宅マンションに残されていた手帳には、役柄と自分自身を重ねる文言が並んでたとのこと。
散ることを見据えて残された日々をどう過ごすべきか
苦悩する姿に自分を重ねている
約1年前からすでに、苦悩していたのですね。
そういえば、遺された新曲「Night Diver」の歌詞も意味深でせつなかったです。
いつまでも忘れられなくて
明日になれば治まるような
胸に突き刺さる棘の行方
知らんふりして見ないようにして
気づいたら戻れないような気がした
昨日も同じこと考えて 結局こんな夜過ごして
それでも嫌な感じじゃなくて
きっと誰もしらない言葉が今僕の中で
渦を巻いてずっとLoopLoopLoopLoopして
吐き出そうと声を出してみてもうまくいかない
My heart beats faster Night Diver

3年先のスケジュールまで、びっしり埋まっていた春馬さん。
そのひとつひとつに真剣に向き合って、自分にも厳しいとなると、相当苦しかったでしょうね。
楽屋で、「うぉーーー!」と大声で叫ぶ春馬さんの声を、スタッフの方が聞いたという話もあります。
もし、誰かが気付いて、救ってあげられたとしたら…
過去は巻き戻せないけど、もし、春馬さんを絶望のどん底から救ってあげられたとしたら、それは、女性の力だったのではないかな、と思います。
母親との関係に悩んでいたというのが本当だとしたら、その傷を癒してあげられるのもまた、女性だと思うのです。
春馬さんを胸に抱きとめて、優しく癒してくれる女性と出会っていたら、また、結果は違ったのかもしれません。
悔やまれてなりません。
まとめ
以上、
・三浦春馬/太陽の子の撮影時期はいつ?
・裕之役について書かれていた手帳の内容とは?
について、まとめました。
三浦春馬さん、どのくらい前から人知れず、苦悩してたのでしょうか。
「ほほ笑みうつ」ではないか、という推測がありましたが、本当にそうなのかもしれません。
微笑みうつ…
初めて知りました。
うつの中でも、見抜くのは、難しいかもしれません。笑ってるのに……
春馬くんは、心から笑ってると信じたい…#三浦春馬 pic.twitter.com/6lVumpvZSC— みゅーまろ (@myu333myu) August 12, 2020
他人に向ける笑顔はどこまでも優しく、内なる孤独はどこまでも深い。
それでも、精一杯生きた30年間は、輝きに満ちていて、こんなにたくさんの人を魅了しています。
帰らぬ人は偉大で、遺された作品は永遠。
お読みいただき、ありがとうございました。
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